街の魅力は「点」ではなく「面」にある

ドミニク・チェン 氏 21世紀の都市開発に求められるものとは 第2回

魅力的な都市は「身体性を感じられる移動」ができる

魅力的な都市のポイントのひとつに「身体性を感じられる移動ができるか」ということがあります。

ロサンゼルスに住むと、クルマでどこへでも行くことができて、最初の3週間とかはめちゃくちゃ楽しいんです。でも、それを過ぎると途端につまらなくなってくる。点から点に移動しているというか、時間のかかる「どこでもドア」で移動している感じがしてくるんです。場所によって全く異なる景色が広がるので、地続きで移動している気があまりしない。

逆にパリの場合は、いきなり空間が変わるのではなく、ある場所と別の場所が地続きになっています。例えば、オペラ付近からマレ地区を抜けてさらに東のバスティーユに行っても、連続した空間を徐々に推移している感覚がすごくある。パリは都市条例で屋根の外観をそろえたり、高さにも規制をかけたりしているので、上を眺めながら移動を楽しむこともでき、「面」の重なりを楽しめる都市だと思います。

では、東京の場合はどうでしょうか。例えば六本木から虎ノ門に移動する時は、やはりロサンゼルスと同じように点から点へ移動している感覚を感じます。渋谷から新宿、新宿から大手町なども同じ。街と街の間をワープしている感覚になってしまう。

香港やサンフランシスコなどは、海や山といった自然の背景が非常に身近にあるため、都市の新陳代謝がある程度高くても、都市全体の中で、自分のいるポジションを感じながら移動することができます。そこには、身体的な都市の感覚が変わらずにあるという安心感があります。

東京でも、パリのように身体性を感じながら移動できる空間をつくることは、テーマとして面白いのではないでしょうか。例えば、ビルのように一つの建物だけを設計するのではなく、その周囲数百メートルも含めて、徐々にその世界に入っていくような動線の設計をするだけで、感覚は変わるのではないかと思います。常盤橋周辺なら、いまある水路をうまく活かして、日本橋や神田などの周辺地域とうまくつながれるといいですよね。

用事がなくても行きたくなる街が理想

ロサンゼルスは、面白い空間とつまらない空間が区分けされてしまっているのに対して、パリは都市全体が一つの空間になっていて、道の形状も不規則で、何気なく歩いていると次に何が出てくるかわからない、予測不能な面白さがあります。それは東京で言えば、谷中や根津などがイメージとして近いかもしれません。時空間が街に溶け込んでいる、と言ったらいいでしょうか。

例えば、ファッションブティックで有名なマレ地区の近くにはポンピドゥー・センター(ジョルジュ・ポンピドゥー国立芸術文化センター)があり、常に新しい企画展をやっているので、買い物ついでにふらっと立ち寄ることが簡単。南に少し歩けばサンジェルマンにもいけます。そんなふうに、歩いてどこまでも行けてしまうという連続性がパリの強みですね。フラフラ歩いていているだけで新しい発見があるんです。

東京やロサンゼルスの場合は、「明日から○○美術館で展示が始まるから、よし行くぞ」みたいな感じで、「点」的思考になってしまう。パリのように、「面」の中で「特に用事はないけど、そこあたりに行く」というのは都市として生活者が抱く最強のロイヤリティだと思います。用事があるからそこへ行くというよりも、ただ気持ちがいいからそこに行く、と思えるような設計ができたら、一番強いですよね。パリの場合はそのように完全に設計されたというよりは、偶然の要因も重なって次第にそうなったのだと思いますが。

先日、パリでは10日間、エアビーアンドビー(Airbnb)でアパートを借りて生活をしてきました。パリでは、お店に入ると、お客の方が先に「こんにちは」と言わないと失礼という感覚があります。日本でも、妻の実家の神戸だと、街角の立ち飲み屋にふらっと入ると、知らないおじさんと競馬の話をしたりできる(笑)。でも、東京では、お店に入っても何も話さないでいい、というような雰囲気がありますよね。

東京は、挨拶したり、お礼を言ったり、話をすることがしづらい雰囲気が期せずしてできてしまっているような気がします。ひとつには人口密度が高すぎるというような構造があるかもしれませんが、そうした客観化できること以外の要因としてはやはり文化的な蓄積があるでしょう。例えば、お店に入って世間話を30分くらいして、何も買わずに「また来るわ」と言えるような関係性ができると、すごくいいですよね。パリでは当たり前にあるそういう場を意識的につくれるといいなと思います。

西国分寺で「クルミドコーヒー」という喫茶店をやっている影山知明さんの話で僕がすごく好きなのが、ポイントカードを作らなかったという話です。せっかく今、効率性の意識を持たずに来てくれている人たちが、ポイントカードを作ることによって「ポイントを貯めるとお得になるから来る」という消費者マインドに切り替わってしまったら、それは非常に損失だというんです。「あと一杯飲めば無料だから来る人」よりも、「その場所が好きだから、何となく来てくれる人」が増える方が店としての資産だとおっしゃっていて、シンプルなことだけど、すごく本質的だと思いました。

六義園は江戸時代のVRテーマパークだった

先日、テレビ番組の収録で、文京区にある六義園を僕の能楽師の先生である安田登さんと一緒に歩いたんですが、六義園というのは、江戸時代におけるある種のVR(バーチャルリアリティ)テーマパークだったことがわかりました。六義園は、徳川五代将軍徳川綱吉に仕えた柳沢吉保が、元禄期につくった庭園ですが、古今和歌集や万葉集などの和歌に詠まれた風景の見立てとして設計されています。

例えば、「いもせ山 中に生(おひ)たる 玉ざゝの 一夜(ひとよ)のへだて さもぞ露けき」(藤原信実/新撰和歌六帖)という歌があります。庭園には、「妹山(いもやま)」「背山(せやま)」があり、その二つの山を隔てる場所に「玉笹」と名付けられた大きな石が立っています。これらは、この歌が詠まれた紀州・和歌浦の風景を表しています。現代風に言えば、和歌を読みながら、その風景を脳内でプロジェクションマッピングして楽しんだわけです。しかも、もともと六義園には、そういう場所が88カ所(「八十八境」)あったそうです。

かつての日本人は、ヘッドマウントゴーグルなどのデバイスがなくても、身体を移動させながら、異なる時代の歌を読んでバーチャルトリップを楽しむ、「見立て」の文化を発達させてきました。そういう意味では、日本はバーチャルリアリティの最先端国だと言えるでしょう。

また、六義園の中には小高い丘が造られていて、そこは、江戸城と日光東照宮を直線的に結ぶ位置にあり、それぞれとの繋がりを直線的に感じることができる、地図上のマーカーのような役割を果たしているそうです。

そもそも江戸の町自体、徳川家康の参謀だった天海僧正が、風水をもとに、江戸城の鬼門に当たる上野に寛永寺を建立し、反対側の裏鬼門に当たる目黒不動尊と対置させたといった話があります。そのように、昔は町全体を面として捉える感覚があったわけです。点ではなく面の視点で、東京という都市をつくり直していけば、街全体を身体的に移動する文化を復活させることができると思います。

常盤橋であれば、周辺の神田、日本橋、八重洲、丸の内を結んで、さらに遠くの地域との関係も考慮しながら、100年後に人々がどのように暮らしを楽しんでいるかを考えながらつくれば、それこそトキワ荘のようにいろいろな人たちのアイデアを取り込むことができて、面白い街づくりができるのではないかと思います。

ドミニク・チェン 氏 早稲田大学文化構想学部准教授 学際情報学博士。NTT InterCommunication Center(ICC)研究員を経て、NPOコモンスフィア(クリエイティブ・コモン・ジャパン)理事、株式会社ディヴィデュアル共同創業者。2017年より早稲田大学文化構想学部准教授。フランス国籍。

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